精神デイケアでよく”卒業”という言葉を耳にしたことはありますか?
この業界ではよく使う言葉です。
”卒業”とは何なんでしょうかね?
ちょっとあれ?っと思ったので考えていきたいと思います。
卒業とはなにか
単に”卒業”とは何かで考えると、
卒業(そつぎょう)は、学校の規定の全課程を修了すること。
Wikipediaより
と検索したら出ました。
そうなると、デイケアでの規定を修了したという事か??
うーーん。
障害特性を考えると、何をもって規定して修了したとなるのだろうか。
デイケアの特性を考える
精神デイケアの定義をみてみる
精神障害者の社会生活機能の回復を目的として個々の患者に応じたプログラムに従っ てグループごとに治療するものであり、実施される内容の種類にかかわらず、その実施時 間は患者一人当たり一日につき6時間を標準とする。
厚生労働省より
精神科デイケアとは、病院やクリニックで行われている外来治療のひとつです。
作業(陶芸・手芸・木工など)、スポーツ、レクリエーション、疾病教育などを通じて、生活リズムの安定、対人コミュニケーションの訓練、社会復帰の準備、居場所づくりなどを目的に通院します。
指導には医師、看護師、精神保健福祉士、作業療法士等があたります。
健康保険が使え、障害者総合支援法(自立支援)による自己負担軽減制度もあります。
千葉県ホームページより
どうも、卒業とは関連性がないようなことが多いですね。社会生活機能の回復や居場所づくりなどを目的としているのなら、”卒業”と謡う必要があるのだろうか?
現に、利用者が就労移行や就労継続、就職などして”卒業”と謡うことはあるが、それはこれに相当するのであろうか?
生活リズムや対人コミュニケーション、病状安定など図り、就労が出来るまで整えられたから次へのステップに進んだのだと思うので、”卒業”という言葉が妥当であり、
これらの利用者は、デイケアを治療のであり、治療においての通過点とみていると思われる。
しかし、上記にあるデイケア概要には、それ以外の部分も含まれている様子。
居場所づくりや対人コミュニケーションの訓練とあり、これらは、心得として得られたり、場所として設けることは出来るが、場所や対象者が変わったらどうなのだろうか・・・難しいとしか言えないではないか、
精神デイケアをリハビリテーションとして考える
デイケアをリハビリとして考えてみるとどうだろうか?
リハビリテーションとは何か?
リハビリテーション(英語: rehabilitation)とは、身体的、精神的、社会的に最も適した生活水準の達成を可能とすることによって、各人が自らの人生を変革していくことを目指し、且つ時間を限定した過程である。
リハビリテーション – Wikipedia
作業療法士として、このリハビリテーションについてはいつでも意識して行っているが、そうそう、最も適した生活水準を達成することが難しく、本人がそう思えなかったり、拒否したりと上手く行かないのが精神科である。
しかしながら、少ない人数ながらも達成してリハビリテーション治療が終了をなる人も居る。
それは、病院や施設で必要がなくなるだけで、本人がある程度、方法を獲得し日常生活でその獲得したの能力や工夫が発揮でき生活水準を保つことができることである。または出来るだろうと本人や医療側が認めたことによるものである。
身体障害の場合は受傷部位も理解する能力や工夫する機能もあり、獲得したり調整したりできると思うが、精神障碍者は基礎能力への障害を受ける場合があり、自分がどのような状態にあるのか、洞察することが難しく、また注意を促しても難しいことが多々ある。
また、最も最適な生活水準を本人基準で考えると、低下した判断力や状況認知から風呂に入らなくても大丈夫、ごみは捨てなくていい。外には敵が居るから外出しないなど、本人基準で生活を行っていると、生活水準の根底が破綻する。
なので、医療と福祉とモラルなど、人して健全であるか、精神状態が社会的に適合されているかなどから生活水準を見えていく必要がある。
能力低下が一過性のものであれば、問題なく、またそれを補う能力を工夫次第で扱うことが出来るのあれば問題ないのであるが、どうしても支援や援助が必要になることがあり、そうそうとリハビリを卒業という形にはならない。
それでも本人が望まない場合は”卒業”となる。
結果として”卒業”とは
医療側や支援者側は、もう少し、あともうちょっと、と思うが、本人がもういいよ。と本院希望での必要性がないと判断されたときに”卒業”となるのだと、結論付けた。
なので、必要ないというか、他にすることがあるというか。ある程度分別が付き支援者が必要なくなった場合と、
無能で、やっていることが意味が無い場合。それを実感できない場合に卒業となるということ。
後者の場合は能力不足なのでしっかりと肝に銘じて、単に支援者は”卒業”をもろ手を挙げて喜ぶことでは無いと実感した。

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