こんばんわ。
ぐるぐる中です。
いやー。いやだねこの感じ。そしてこの感覚。
負の思考から抜けられない。
なので今日はなんでもない、ぐるぐるをぐだぐだに書いていきます。
それにしてもこのパソコン反応が悪いな。。。。そろそろ10年以上のパソコンではきついですかね。いまだにcore2quadです。かくつきますね。
グダグダ表出してみる
ではでは。話し戻して、
なんでこんなにぐだぐだなのか。
なんでもない。私のわがまま。といったらそれで終わりの話。
メンバーと同じように思ったことをひらめいたままに書いていく。時系列なんて関係ない。
思いがでて整理できれば、表出できれば。何かが見えるはずですですです。
発端はたぶん。ずいぶん前から、このいびつな体制のせい。
常勤OTひとり、非常勤看護師2名が日替わり3日と2日。
以前であれば、まだ意図を汲める人が居た。
しかし、長年内科経験者と看護師歴の浅いあいまいな精神科経験を持つ。
それ自体が悪いわけでもない。しっかりと理解し、動こうという姿勢もそれに答えようとする自分も居る。
精神科。特にデイケアは集団療法の場所。だからグループワークのノウハウや疾患を持つ人とのかかわり方、疾患を持つ人の特徴や傾向、予後など伝えられる範囲で伝えていたが。。。
定年を間近に迫っている二人。ひとりは、畑違いで仕事をしてきた人。もうひとりは長年専業主婦をしていて看護師になった人。
その人たちが悪いのではなく、その状況でグループワークをやること自体が本当に困難であるということ。
朝伝えたことも”はいはい”と二つ返事だが忘れていたり理解していない。何を伝えて何が出来るのかまったくわからない。
精神リハビリって大変
私自体が精神のリハビリはとても繊細で、見えないものに対して針に糸を通すような気持ちのときもあることを知ってほしいし、
今まで見てきたものや聞いたこと。自分の価値観や概念というものと違う世界に生きてきた人、生きている人、普通ということや言葉に苦悩している人に対して、あまりにも自分の概念を持ってしまっていること。
”普通のおばちゃんなのである”
それは仕方ないことなのだと思うし、それが現実である。
仕事とはなんなの
しかし、そうすると私の仕事は何だろう。私が大事に磨いてきたものや気にしてきたこと、気を紡ぎ、心を編むような気持ちで関わってきたことはやはり特殊であり、他社とは相容れない工芸品的な、技術であり、”職人”という言葉で済まされてしまうことなのだろうか。
当然、対象者のメンバーはそこまでの違いは理解していない。
それは当たり前であり、理解できていれば、そこには居ないし、居る必要性も無い。
また理解する必要性も無く、理解していたとしたらそれは強要であり、教授となる。
だから、相談しやすい人、との言葉ですんでしまうが、それでいいのだろうか?グループワークは一人では出来ないし、作業療法もセラピスト一人で完結するほど完璧なものでは全く無いし、そういうものではない。
チームワークは大事だよね
精神リハビリはチームワークが大事だと考える。
まだ主治医とデイケアスタッフでの相違ならカンファを行い、お互いの主張やなんとなくの方向性や役割が分かればチームとして成立するが。
デイケアスタッフ間の相違は結構きつい。
意見の対立も結構しんどいが、まだ医療として、精神科としての視点。
メンバーをみる。プログラムを成立させる。または実行する。
メンバーをみるには見ているが、特定のメンバーにかかり気になり周りは目に入らない。何度か話をしたが、概念が無い。説明したが、”はいはい”というか、”じゃあ何すればいいんですか?”と質問された。
上司でもなければ、指導者でもない。私が何をすればいいのか。
Don’t think, feel.
そんなブルースリーの名言が頭をよぎる。
考えるな、感じろ!
説明して、教授されて実行するものでも支持されて、動くものでもない。
それが精神科リハビリであり、精神科のスタッフの役割であると思っていた。しかし通じない。同じようなことの連続。
今回は、昨年末に
記録の時間にメンバーが居残り、
メンバー同士で会話していた。
一人は夫に悩み、ため息。(この光景は年中である。苦悩と不安と共に生活を営んでいる。それが良好かどうかは分からないが、彼女が選んでいる道出ることは確か)
その人に対して、暴言とも言うべき言葉をもう一人が発した。
「そんな夫なら分かれたほうがいい。なんで分かれないの。離婚しなさいよ。離婚しないとだめよ」そのごも何度も離婚を勧める。
べつに離婚をすることは本人の意志で行うことなので問題は無いと思うが、離婚という言葉を発端に、夫に対して危害や自傷行為などに発展したら、どうなんだろうか?
どうする俺?!
そんな懸念が頭をよぎった。
当然当事者である暴言的な言葉を吐いたメンバーに責任能力は無く、スタッフである私に来る。管理者ではないので責任所在は管理へといくが、その場に居た当事者としての責任は生じてしまう。
これを危機として感じ、その場に居た、もう一人のスタッフと話をした。デイケアが終わった後でメンバー通しが話し合っていることまで責任は持てない。
記録もあり、今日の振り返りもしたい。だから利用時間をデイケア時間内にしてもいいので歯にか?でもしかし、メンバーにとっては学校の放課後的な空間や時間を満喫できる時間まで奪うのは違うのではないか。そんな議論をしたのだと思う。私はしたつもりである。でも振り返ると私しか話していないのかもしれない。
いままでもシステムや方法など考えて提案し何度も説明したが、殆ど理解されずなんとなく了承し、実践を何度か繰り返し定着をした頃、メンバーの理解より遅く。やっとなんとなく理解してくれる人と、意図が理解されたのであろうか、そんなことと思っているのか全くつかめないもうひとりがいた。
なので、職場会議で検討したいと提案したが、私の思いを汲み?どうしたいの?との問いに私が、出来たら、デイケア時間内だけにしたい。他はスタッフの打ち合わせなどに当てたい。どうしても利用していると実名は話せないし、こそこそしてしまうとのことで、簡単にではデイケア時間内にしましょうと決まった。
これでいいの?
受け入れてもらったはずの自分であったが翌日には不安であった。これは私のエゴであり、デイケアの利用方法の縮小なのではないだろうか。スタッフ打ち合わせと称してのただイザコザから自分を守りたいだけではないか、守ることも必要であるが、それに見合う対価が無いのではないか。
私の中で対価はとても重要に位置居ている。
何事にもメリットとデメリットは存在するし、迷ったときや選択するときには、それを指標として、見合う対価を見出し、損はしても何か利になることを見つけて実行している。そうしないとリハビリにも人生にも、支援にも何事にもならない。
だからこそ、こんなにも苛立ちと歯がゆささを覚えたのだ。
今分かった。
だからだよね
分かった後に書くのは変ですが、そのあと。
自分のエゴかもと看護師に話すと、私はそんなつもりで話し合いに出していない。責任問題が自分にきたら取れない。どうしたらいいのか。
それだけだった。それってケースカンファというか支援方法なんじゃないですか?と思い伝えたが相談だけどね。でも勤務中は必要ならば関わるべきだと思います。と返された。
意味が分かりません。分かるけど受容出来ません。それって私が伝えていた思いは読解って居ますし、自分軸です。ふーーーー。なにもならないのかな。
そしてもう一人の看護師にこんな経緯で、デイケア時間限定するのは反故にしたほうがいいと思ってと伝えたら、「あ、そうなんだ。話しよく分からなくて、そういう風に決まったんだっけ」毎度のことで返答も予測つきましたが。しんどいですね。
気分一新したいよね
そして、年明け、外出イベント。
看護師に迷子にならないようにと冗談半分で本音を入れる。
「そうなのよね。」
と返答され。切符を買うのも分からないのに口を出し、道を知らないのに先を歩き、勝手に高度して迷子になりそうになり。ワーワーと騒がしく。メンバーがほほえましく笑みを浮かべる。
想像通りなのでこれ自体は憤慨も違和感も感じないが、自分の仕事って何なんだろうと改めてふとした瞬間に考えてしまった。
いろいろと。。
そしたら、看護学生の受け入れ基準として設備を整える話が師長より舞込んだ。
デイケアで毎日振り返りと課でメンバーの方向性とか計画とか立てているでしょ。それカルテに書いてと言われた。
???えええええ?カルテ?計画とかってそんなに簡単に出来ることではないし、ましてカルテに方向性とかデイケアスタッフが書けませんよ。と伝えたが、いつも話しているので大丈夫!よろしくね。とのこと。
キョトンとしてが、その後憤慨した。
やっぱり、リハビリ自体が理解されていないし、自分の仕事は合い塗れないものなのかもしれない。
メンバーに対して診立てはしているが、それは可能性からこちらに流れそうだという方向性を見出すものであり、計画や支援方法ではない。
仕事ってやっぱり何?
まして、それを学生に見せるために?受け入れの査定評価のための準備として行う?
そんなにも自分たちのやっていることは理解されないのだろうか?
それを看護師に伝えたら、考えすぎ。よく分からないけど、実習は精神科知らない人が来て、あ、こういう風にこんな感じでこんな人も居るんだ。看護師の働く場所はこういうところもあるんだ、なんとなく患者と関わり体験する。それで精神科に興味を持つ人も居るのではないか、そのお手伝いをしているのだ思います。精神科の実習も分からないけど、内科と一緒で言いといわれたし。との返答。
それって、見学じゃない?社会科見学でいいということだよね。以前にもほかの施設で看護学生と関わったこともあったが、みんなお遊び気分で遊んでいた。そんな門なんだよなと思う気持ちもあるが、そのために計画をちゃちゃっと書いてといわれるのは、やっぱりしんどい。。
これは何?
そして、今日は、自分の気になる患者への関わりしか見えない看護師と勤務。
「仕事に行きたくない。行かなくていい?」
「デイケアも休もうかな?」と何度も言う。
なだめておだてて関わっていた。
打ち合わせもしても、あまり理解できず、かかわり方についても何度も説明したが、どうも違う。これは私のエゴと断っておくと違和感も質問も無い。殆どしゃべらず。
今度自分が提案したプログラムの準備、カルテ読みそしてコメントを書き込んでいた。
何を考えて何を思っているのかも、よく分からない。
今日は何かありますかね?今日はこんなな感じでしたねと毎回のようにアクションして今日のやり取りをリピートしてくれる。
しかし、狭いデイケア、そのやり取りも見聞きしていたし。それ以上も無い。それよりもほかのメンバーが不安定な状態だったことを伝えるが、そうでしたか。で終わる。
視野を広げる発想を持ってほしいことは何度も説明したし分かるようにグループワークや立ち位置、姿勢なども丁寧に細かく説明したが、あまり入っていないのか自分のプログラムのことでいっぱいなのか、殆どメンバー以外では発語が無い。
やっぱり、むりですよ。私みたいにガリガリの。みてみて、がんばっているでしょ。考えてますよ思考に人に、見てくれず、やって当然。やっていたの。それも知らない状況ではがんばれません。
ふーーー
ぐるぐる。ぐぐるぐる。
ぐるぐるしながらも外出です
外出プログラムはムンク展でした。
恐怖と不安と生と死をいっぱいに感じ。
私の中での憎悪が表出したのかもしれない。メンバーを気遣い、所在を確認しながらだったので殆ど見れませんでしたが、なにか感じたんでしょうね。
そんななか一人鑑賞を楽しむ看護師を、みんなを振り回してまで飄々としている看護師を観たことで色々と湧き上がったのかもしれません。
やっぱり私もひとなんだな。と実感して終わりたいと思います。
でも明日へとつながる事を思って終わらないと、ただ漫然と停滞しグルグルから抜けることが出来ないと思うので、
ひとつ、
明日は、しっかりと元気に見せて挨拶をしよう。

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