実習あるある:疾患名から何が見えて何が分かるのか!

2018年12月9日日曜日

OT実習手引き 実習コラム

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実習生からの質問でよくあるのが、
「デイケアを利用するメンバー構成はどうですか?」

「統合失調症がやっぱり多いですか?」

この仕事をしてから、何度も聞いたフレーズではないでしょうか?

自分も学生時代に何の疑問も持たずに質問をしていました。

しかし、何度も学生を受け持ち、この仕事を続けていると、違和感に気がつきはじめる。

「病名構成の質問!」これって何の意味があるのでしょうか?

病名構成については施設紹介で疾患構成をしっかり明記しているところもある。

そして、実施調査として、厚労省より年に1度くらい、構成の調査もある。

デイケアを疾患別に分けて運営しているところもある。

たとえば

  • うつ病専門のデイケア
  • 発達障害デイケア
  • リワーク(復職デイケア)

などなど、疾患別に行っているデイケア。それらの要素を取り入れプログラム化した疾患別プログラムなど、多種多様にニーズに合うように。疾患に合うようにデイケアやプログラムを多様化させているところは多くあります。

 

運営上や、厚労省の情報把握としてなら、必要性はともかくとして理解はできる。

しかし、それが分かったとして何になるんだろう?

 

学生が知る理由や知った後に考えられる要素などを考えてみた。

  • デイケア全体の雰囲気を相対的に掴む為
  • プログラム構成の要素を理解するため?
  • データ化、視覚化をすることで安心するため?
  • カテゴリー分けして理解した気になるため?
  • なんとなく聞いてみたら賢い気になれるので

うーん。考えれば考えるほど、自分の学生時代の愚かさが出てくる・・・

なにも考えず、レポーに記載するために、先人が書いていたから、それでよいと思い質問していたことを思い出します。

まあ、学生なんてこんなもんでしょう!!って私だけかもしれませんが・・・しっかりしている学生さんスイマセン。

 

で、やっぱり、学生が優秀でも人が優秀でも、実習で質問してもあまり意味のないように感じます。

それは、精神科の病名ということを理解していないから。

 

教科書や書籍で病名を学び、覚え、創造し構築したとしても、

精神科の病は”病名”にあらず。

なにかの一説に書いてあったように気がしますが、まさにそのとおりだと思います。

病名は

  • その病名をつけた時の症状であり
  • 有効であろう薬剤を使用したいとき

につける名前であり、その人の病状を示すものでも、その人自体を理解するものでもない。

 

では、視点を変えます。

精神科の治療とは何なんでしょうか?

 

病名や経過から症状や状態を理解し、

環境からこれからの予後を想定して、

その人の生活が円滑に営まれるようにすること。

 

まあ大体こんなもんでしょうか。

教科書としてはこれでたぶん大丈夫だと思います。

 

しかし実際は大きく違います。臨床をやっていると、こんなにサラッといきません。

病名からでは殆どのことがわからず、目印にもなりません。

経過からその人の病状や状態を理解できますが、その人の暮らしがあまり分かりません。幼少期や思春期を過ごし、家族・友人関係、仕事、学業などにおいてどのような苦悩を体験したまでは分かりません。

どんな環境で暮らしているのかは分かりますが、適切で円滑な生活が営まれるには、あまりにもその人が抱える病気という特性から生活に及ぶ障害や障壁が想像できません。

 

つまり、精神科の治療とは、症状を沈静化するだけでは直らないということであり、どのようにその症状と向き合い、上手く付き合っていくかが重要であり、その方法ややり方を見つけることが治療ということです。その手伝いをしているのが私たち医療者の仕事です。

だから、どんな苦悩を抱えて、それにどうのように立ち向かい生活を営み、精神病がどのような形で発症して、どのように回復し、どのようなところが脆弱なのか。

 

私たちはこの脆弱な部分をいかに見極め、どのような形で出現してくるのか、病状が絡むとどのようになってしまうのかを想定して、予防したり対策したり、振り返させたりすることがとても重要になります。

 

 

だからこそ、病名で判断すること自体が、まったくもって意味のないことになり、勝手にカテゴリーわけして満足し、本質から、治療から知らない間に逸脱してしまう可能性を秘めていることを知らなければならない。

全てのことにカツモクせよ

 

無意識のカテゴリー分け

人は、膨大な情報である”もの”や”こと”を、ある一定の情報の中で分類することで情報を細分かまで整理し予測を立てて生きている。

これは高次脳が成せる業であるが、本能に基き、危険察知能力や集団帰属欲求などの複合的に発達したものだと思う。

人の社会は人といかに争わず、協調し、妥協し、一定の距離を保ちつつ自分の立ち位置を確保していく生き方をして行くものだと考えます。

 

だから、初めて会う人の認識をまず頭の中で、過去にあった似たような人、複数を照らしあわしながら、ここはこの人と似ている、ここはこの人などと何となくのその人を自分の中でカテゴリーわけをしていく。そして新しい情報が入るにつれ、その人を知ることになり、知れば知るほど安心を得るもの。同時に警戒心も薄れていく。

 

このようにカテゴリーをすることは生きる上で必要であり、仲間か敵かを区別する本能的に、居場所を確保する社会的に機能すると考えます。

 

だからといって、病名でカテゴリー分けすることは、安易に安心感を得たいためであり、何の情報も得られず、警戒心も取れることはできない。

 

裏を返せば、危険人物という”病名”カテゴリーで分けることで、警戒心を解かなくていい、交わらなくていい、自分とは違うのだから理解しなく良いと、自分の心に暗示をかける結果となってしまう。

これは支援者としては本当に恐ろしいことだと思います。

  • 薬だけ出す医者。
  • レクだけこなす作業療法士
  • 書類だけ作る精神保健福祉士
  • 検査だけする臨床心理士
  • 病名だけでその人を判断し”自分と同じ人”ではないと判断する人

しかし現実ですねこれも。

まさしく病名だけでその人を判断する。

これが差別という言葉になりますね。

これで当事者は苦悩しています。謂れのない差別があり、あるのではないかと自分を疑心暗鬼に貶めます。

 

 

最後に、学生に・・・

「”人を病名で判断しないほうがいい”と教えてくれたのを、患者さんにも同じように言われたので、本当にそうなんだなぁと思いました。」と学生から言われました。

医療者の判断と、患者さんの判断してほしくないには大きな違いがあることを説明しましが、目を大きく開き、やたらと頷いていました。

理解できたかは分かりません。

本当に説明は難しいですね。

 

 

 

 

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