日々デイケアで働いていると考えさせれらることが多いです。
今日は、再度、デイケアに対して考えさせられることがあったので、書きます。
デイケアの運営方法
現在、自分のところのデイケアは、患者であるメンバーがプログラム運営をしている自助組織構成での運営となっています。
一時は、それそれが社会に向けて、自己の病状克服や病状理解など、次への目標を明確に互いにエネルギーを高め合いながら、進んでいる状況でした。
そんな人がたちが卒業し、残った人、新しくつながった人、外に向きつつも繋がっている人などの割合が変化した。
以前は中心的に活躍した人たちで、卒業した人もいるが、午前中のみや特定曜日だけの参加し、中心的活動がデイケアから社会になりつつ人たちが少なからずいる。
そして、残った人、新しくつながった人たちは、それぞれの形で一日だったり午前中だったり、週に1回や2回と参加されている。
自分のことでまだまだいっぱいの人もいる。
プログラムに外食ツアー
そんな状況で、プログラム企画に上がるのが、外食ツアー。
始めは、外で食べることがほとんどない人が多く。みんな昼ご飯はコンビニ弁当や自前の弁当。たまに、牛丼屋やうどん屋などで外食する人はいるが、外食自体しないひとも多く居る。
日頃の食事もコンビニ弁当中心の人がほとんどだ。
そこで、一案。
スタッフより”近所の食事屋さんに食べに行こう!”と提案。
みんなの賛同がありプログラム化とした。
そこまでは、たぶん大丈夫。自分にも違和感がない。
しかし、その後、月ごとに近所の食事処の名前がメンバーから挙がる。
店名まで決まっているので、話し合いを行ってもあまり検討なく決定される。
違和感はあるが、メンバーはあまり違和感を感じていない。
自分の中での葛藤。
”楽しみ”の共有・”食事場面”の共有など自分で納得させた。
外食プログラムの意味合いが曖昧
その後も店名は挙がる。そして、「この間、自分で行ったら安くて美味しかったので」とプレゼンした。
自分の中で”んんんん????”かなりの違和感が・・・・・しかし、一方的にスタッフが発言するのは、指導・教授となるのではないか。いろいろ考えての提案否定になりかねない。
もっといろいろ考える必要があると、モジモジと頭の中でし始めた。
体験共有の拡大解釈と許容の大きさを広くすることがとても大事なのだと、自分に言い聞かせた。
そして、自分の中で考えが芽生えた。
”デイケアって治療する場”
”治療”って思っていることが、訓練。リハビリ。指導などの意識が強いのではないか??
デイケアは治療する場
精神科の”治療”には休息、療養、停滞、退行、抵抗、葛藤、などいろいろな場面や状況環境が生じ、それによって、それぞれが感じ、どう進むのは本人がその都度決定していく。そして、それが主体的なれる一番の方法。
だからこそ、デイケアというものが存在し、他で行っている職業訓練や内職作業、就労、日中居場所、相談所などと一線を画すことが出来る。
これを忘れているし、それを教えてくれる場所も教育もないことに
精神科に携わり10年以上になるが、やっと自分で理解した気持ちに成りました。
だからこそ、作業療法で言う、集団適応の場である”パラレルの場”が有効になり、存在し活用できるのだと改めて実感した。
治療の場だからこそ、お互いに違いがある
「他人は他人、自分は自分。他人は自分とは違うし、他人も他人と違う。
みんな違って当たり前、のんびり過ごすか、がりがり過ごすか、ちょっとのぞくか腰掛けるか。どっかり居座るか、それぞれ。その人の人生の一ページにデイケアがあり、治療は人それぞれ、誰が決めるもでも導くものでもない。」
だからこそ、違って当たり前、外食することが体験になり学びとなる人も居るが、惰性・依存・逃避となるひともいるということだと思う。
人は色々あるからこそ個性があり、違いがあるからこそ特徴が生まれる。
それを忘れ、集団を行うことは、個人を尊重することを忘れやすい。個人が集団のために従属し、集団のために個人が存在することになってしまう。
集団意味合いを間違えると、個人が死ぬ
こうなるともう、個人が集団の駒としてしか機能しない。
社会適応するということは協調性が必要であり、多少の自己抑制が働くが、個性を縛り殺すものではない。
しかし、集団だけを考えてしまうと、個人を忘れ、個人の特性や個性がとても邪魔になり、個性があること自体で苦しんでしまう。
これは、話して健全なのでしょうか?
大日本帝国やナチスなど支配的指導下では可能であって有効であったかも知れないが、強要である。思考することを剥奪することでもある。
人の文明は服従と支配で発展したものでもあるが、個々の思考の多様性で急激に発展し高度な文明となったのである。
だからこそ、現代社会において、集団のために個人を殺すことになってはいけない。
個人の個性をどのように見つめるかが、社会適応にもなり、社会貢献にもつながる。それが現代生活での「生活の質を向上させる」ことである。
メンタルの治療は個性や特徴を育むもの
そこに着目して取り組むことがメンタルの治療となる。
メンタルでの症状や障害は人との距離や集団に個人を合わせることが難しくなり病んでしまった人が多く居る。
だからこそ、集団を必要とするが、それは個人の個性や特徴を育むためのものであることを忘れてはいけない。

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