どうして、精神科の病気。心の病になるのか?解説します。

2018年2月4日日曜日

心の病いを知る

t f B! P L

精神科の病気。心に病について。

どうして、精神科の病気。心の病になるのかを説明したいと思います。

私たちの社会の成り立ち

私たちは社会という。見えない枠組みの中で生きています。
人同士が生活するための社会と言う枠組みです。

人は一人では生きていけない性質を思っています。
しかし複数では争いを起こしてしまうのも人の一面です。

寂しがり屋で利己的、愚鈍で知恵深い、そして欲深い生き物です。

そんな人間が生存して繁栄する為にはルールが必要なのです。

人類が誕生した初期には、家族や村と小さな部族として存在し、その部族を守るために畑を耕したり、狩りを行っていた。
しかし、部族が増え、食料が減ったり、自分の部族よりも他部族が豊かであったり、また狩りではなく、奪うことを求めたりと、欲により人間が人間を襲うことを行った。

人が人を襲うことは、他者よりも秀でたい、存在価値を見出したいという、動物本来の本能によるものである。

しかし、動物は故意に他者を殺すでしょうか?獲物として食するために狩ることはあっても殺すことを目的として、奪うことを目的として殺しません。

人間の脳は、下等生物といわれる、原始の動物の脳から進化を遂げて成り立っています。
延髄の上に小脳、辺縁系、視床下部、大脳皮質と進化の過程でより多くの感情や思慮を扱うことができるようになりました。

そして、本能であった奪うという欲求に感情が進化し、思慮が発達したため殺意と言うものが生まれ、殺人と言う行為を生み出しています。

しかし、他部族全てを排除することは難しく、部族から村、町と人の数を増やして生活を営むようになりました。
そして様々なルールや取り決めごとが生まれました。
人のものは奪わない。人は殺さないなど、人と人が共存できる仕組みを考えました。
一方で仲間と認識しない人に対しては強奪や略奪、人殺しをしても良いという考えは変わらず、人をものとして考える奴隷と言う考え方をしました。更に、仲間同士の約束をしても、守るのも・破るのも人間なのです。強奪や殺人を犯す人はいました。

人が増えることによって、それぞれの特技や利点が活用され、役割や職が生まれた。
さらに、ルールは複雑化してきた。
そして人から奪ったりすることも更に複雑化しました。そのため取り締まる法律や人、場所が作られました。

更に人の社会は発展し便利で豊かな生活が確保され始めましたが、仲間と認めない人に対しては暴力を振るっても良いという考え方は変わらず、個人でも、村でも、町でも変化が無かったです。さらには国でも同じ考え方になり、国同士で争うことになりました。

国同士で争う戦争も多くの人の命が奪われ、お互いに大きな武力を身につけ、地球自体が崩壊するかもしれないくらいの時が経ち、睨み合いの状態になりました。

現在は睨み合いの状態から和解となった。
国という考えから、国際と言う国と国が互いに共存できる形を模索している最中です。

この国際はそれぞれの国が違うので成り立ちが難しいが、存続し共存するために協力し合っている。しかし、お互いの利害を優先させながらになるため、進展はとても難しい。

よって、社会はとても複雑に構成されている。人の思いで形も変化し、時によっても変化する。このように複雑で不明確なもの。そして目に見えない形で存在しているため理解するのはとても難しくなっている。

 

社会で生きるために

人の社会は様々な経過を辿り現在の形と成っている。そしてそれを可能にしたのは、私たちが生まれてきた状態にあるとも言われている。

大量な情報を活用し発展させるためには、柔軟な適応力が必要となる。
それを可能にするのが、私たち人間の生まれた姿である。

”赤ん坊”

ほかの動物に比べると未発達の状態で生まれてくる。十ヶ月以上も胎内で育った割りに成熟度が弱く、生まれてからも自力で生命を維持できない状態。

馬などは生まれてから半日もしないうちに走り回れるようになる。敵から逃げるためといわれている。

ほかの動物も敵から身を守るために最低限の回避や防御出来るように生命を守るように生まれている。

われわれ人間は進化の過程で、柔軟な適応力を得るために敵から身を守る術を放棄したと
思われる。放棄しても人間社会に適応するためには必要な形態だったと考える。

そして、柔軟な適応力は原始的脳を支配し、身を守る原始的反射を限りなく少なくし、表出しないようにし、人間が特化して進化させてきた大脳皮質を更に活用できるようにした。

大脳皮質を活用することによって、見て聞いて、触って感じてを効率よく利用し、複雑に理解し発達へ繋げている。

そのため、言語や環境、状況を理解し、その場に適するように発達していけるようになる。
そうして、私たち人間は最大の特徴である適応力により、応用と発展を繰り返している。

しかし、この適応力はとても高度な技術である。生まれながらに何らかの障害があると未発達の状態となったり発達が滞ってしまったりする。

更に、適応力から応用力になるためにも更なる技術が必要とされ、そしてそれはその人、独自い培われ育てたものであるため、千差万別である。

それぞれの応用力から得た知識や知恵を様々な分野で活躍して営まれているのが社会となる。

 

生きにくい社会

今までの話から分かるように社会とは、とても複雑かつ不明瞭につながり発展、そしてここの認識が違うこれが社会と言うことになる。

ひとの適応力も人によって違うわけで、応用力も差がある。うまく機能して発展させたとしても、知識や知恵が乏しければ、生き抜くのは難しいのが分かる。

また、応用力が乏しいと、知識や知恵があっても、かなり生き難い。
先ほど話したように複雑かつ不明慮であり、時のよって形を変えたり、人によっても変化する。それが社会であるため、知識や知恵が古くなる可能性が多く、その時々での思慮をめぐらし発展させ適応させていく、応用力がとても必要な社会なのである。

そしてこの応用力が現代社会におけるひとは弱くなっていると言われているため、さらに生きにくい社会なのである。

精神の病気、心の病になるきっかけ。
こころが病に罹るのは、心が社会のルールに適応出来なくなった為といわれています。
人はがんばる生き物です。
人は自分に課す生き物です。
人は頑張り課し達成感を得る生き物です。
そして人は与えられるのを待つ生き物でもあります。

目に見えないルールを自分の目で捉えようと必死に凝らし、更に変化するルールに合わせ、必死に堪えるそれが現代社会の生き方です。

そうなるように学校教育があり、家庭での躾があります。義務教育は最低限の社会で暮らしていくための教養であり、高校・大学は社会を作っていく学問を学ぶところです。

人は一人では生きられないために、合わせるが、うまく合わせられる人はそれほど多くありません。
多くの人は分かっている振りしたり、合わせている風を装えるのだと思います。
人の大事な曖昧さですね。

しかし、真面目であったり、頑張りすぎたり、追い込みすぎたり、追い詰められたりすると、この曖昧さであったり、回避する方法をとることが出来ずにいます。

この曖昧さや回避方法を自己免疫力といいます。

こうして心に無理な状態を続けると自己免疫力では対抗できなくなります。

そうなると、抵抗力がなくなった心は、ダメージを負ってしまいます。

 

心のダメージの大きさや現れ方で病名が変わる

ダメージの負い方は、状況や環境そして、その人それぞれの適応力などの能力に関係するため、千差万別以上に多種多様です。

ダメージの大きさや現れ方は誰一人と同じ人は居ません。

しかし、医学において、治療において、みんな別では治療方法が難しいので、区別します。

その区別方法は、心のダメージの現れ方です。
医師が診察し、病名のガイドラインに照らし合わせて病名をつけて、薬を処方します。

精神で扱われる薬は脳神経に作用するとても危険な薬のため、特殊な薬が多く、病名に応じて使える薬が決まっています。また使用できる種類も限られています。
そのために、病名が必要になるので、区別が必要になります。

ではなぜ、治療方法が難しいのか?
ダメージの負い方がひとそれぞれであり、現れ方も様々すぎて、科学的根拠に基づくガイドラインが作れないからです。ガイドラインがないということは明確な治療方法がないということです。
そして、とった方法が、薬物療法。
ダメージを負った患者を病名ガイドラインに照らし合わし病名をつけて、その病名に合わせて薬が処方される方法が採用されました。
そしてこれが一般的治療法になりました。

 

実は昔から薬物療法以外も存在した。

薬物療法がこれだけ一般的治療方法になったのには訳があります。
治療を施したのが、医師や祈祷師、占い師、預言者などなど、人の心に携わった人たちが用いたもの。実験的に試み的に用い使用して、効果を確かめて使われたもの、それが薬の起源であり、それを用いるのが医師法を作ったときに、医師のみが使用できるものを限定した為である。

しかし、それだけではここまでの一般的治療にはならない。国をあげて、薬の研究開発を行い、薬をつくり、試作して使用する。その流れに多くのお金が流れ、力が流れた。

国⇒製薬会社⇒医師⇒患者

この流れが出来。
薬物療法以外の方法が衰退したり忘れられたりした。

 

精神科の治療は、内科や外科とは違う

心の病は、社会に適応しようと頑張りすぎた為に患ったものだと考えています。
ひとがひとによる病と言った方がいいでしょうか。

だから、薬や、外科的に脳を切除したり、電気を流したりしても、良くは成りません。

強風に耐える竹を想像してください。

右に左大きく揺れながら、風を避けて耐え凌いでいます。
しかし、更なる強風である場合は、その重みに耐えかねて折れてしまいます。

折れるまで行かなくても、ずーっと強風に煽られていると、海岸に育つ松のように曲がりくねって育ちます。

折れてしまった心も、自然治癒力の力でまた生きようと育とうとしますが、折れた傷はなくなりません。補うように、労わる様に、残った能力を使って再生させます。

しかし一度折れた心やがった心は、折れやすく倒れやすいのです。
折れた傷や曲がった状態は柔軟性を欠いてしまいます。

そのため、とても不安定な状態になってしまいます。

それを薬物療法のみで治そうとすること自体が間違っているのです。

 

心の治療には、心が必要

ひとのこころで傷つき折れてしまった、曲がってしまった心には、やはりひとの心が必要になります。

折れて傷つき曲がってしまっても、人はひとりでは生きられません。ひとを必要とするのです。しかし再生にはひとりよりも更に、ひとを必要とします。
丁寧な手ほどきがあり、不安定さを支えてもらって、ゆっくり改めて根を張ることが出来、自分だけでも立っていられるようになるのです。

ひとを必要としますが、適切なひとが必要です。ひと自体というより、適切な支えや見守りや誘導が必要となります。

 

ひとに支えに必要なこと

それには、どんなことが必要なんでしょうか?

答えは簡単です。そのひとの心のダメージを知ることです。
どのような形で心にダメージを負い。どのような負い方をして、どのようにダメージをかばって生きているかを知ることです。
治療方法は、その心のダメージをどのようにかばって生きているか。そして、生き難いところを生き易く、その人ならどのように出来るかを考え、支えたり見守ったり誘導したりすればいいのです。
難しく考えてはだめです。
まずは相手を知りましょう!自分を知りましょう!
相手はどう考えているのか、自分はどう捕らえているのか。
言葉や仕草は心の現われです。
じっくりと心で向き合ってみましょう。
その人が何を思い、考えて行動しているのかを考えることです。
相手を思いやることでしか、治療は出来ません。

最後に

取り止めない切り口から話し始めてしまいました。
思いが重なり絡まり、いろいろと表出してしまったため出てしまいましたが、物事はいろいろと複雑に絡んでいることをお伝えしたかったのと、理解しよう、見てみようという気持ちがとても大切なんだということをお伝えしたくて、絡んだまま記載しました。
整理して分かりやすくしたものは、理解しやすいのかもしれませんが、理解した気になるのと、その人の思考に合わせただけで、本当の繋がりや関係性が分からなくなってしまうことだと思います。
今回、もうひとつ話したかった。応用性が育たず、貧弱になってしまうので、今回の文章も「そうか?」「そうじゃないだろ。俺ならこう考える」など多様性をもって読んで欲しいです。

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