精神デイケアでの相談事業を始めるためのメリット

2018年2月24日土曜日

心構えと気持ち 精神デイケア

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売りが無いデイケアは先が無い

先日、新たな取り組みとして、相談事業のお知らせをしました。

ほかのデイケアでは、相談支援なんて当たり前のことで、わざわざ偉そうに話す内容ではないのかもしれません。

しかし、自分のところは、古き良き物を守り続けているデイケアなのか時代に取り残されたデイケアなのか、

特に”これっ!”と言った売りと言うものは無く、親切丁寧に利用者であるメンバーと接することを重点として運営しています。

しかし、売りが無い当院のデイケアは、閑古鳥が鳴き始めています。

このままではヤバいと思う危機感は人それぞれ

近所の大型スーパーのような、綺麗な店舗と豊富な品揃えとしっかりとした広告で運営しているようなデイケアには到底敵いません。

だからと言って潰れるまで指をくわえている訳にも行きません。

しかし危機感は人それぞれなんですよね。”このままでも何とかなる。今は少し人が来ないだけ、人の流れも山谷あるから、谷の状態だよ。様子見ましょう”と言われる。

いやいや。無理でしょ。商店街がシャッター街になったのと同じだと思うんです。

個人コンビニが潰れて、大手コンビニチェーが店舗数を伸ばしているのもそういうことですよ。いいことやっても、人に伝わらないのではやっていないのと同じです。
宣伝もないならより人は来ませんよ。
自分ならそんな怪しげなところは利用したくないです。

そこで、いままでやっていたものをプレミアム化を図って、売りとしてブランドにしてみようと考えました。

でも、どこのデイケアでも、メンバーとの相談は行っていますよね。
特別売りとして行うものではないのかもしれませんね。

しかし、あれをキチンを時間を設けて行うことにしたのです。

でも、決定的に違うのは、キチンと診ているということです。

売りは出てくるもの、与えられるものなのか?

現状では難しい。状況を変化させたいと思った時には、なんでもそうですが、誰かにもらったり、与えられることを待っていては全く変化しませんし、状況は変わりませんので、発展もしません。

だからこそ、売りは生み出すものだと思います。

そして、苦悩の末に、出てくるもの。
創作活動をされたことのある人は良く分かると思いますが、悩んだ末に出てくるものは自分の中での真実であり、思いです。

思いを形にすることはとても難しく、苦渋と伴わないとできないのも事実です。

そして、創作活動をしたことない人は、形を見て、形だけの絵面やその時に感じただけの言葉で思いを埋めようとします。

苦渋やそこに至るまでの思いは全く感じされず、思いを感じること自体を思いもつかないのだと思います。

発想の転換は常に必要

過大評価かもしれませんが、
自分自身を売りとして使うことを実は選択したのです。

売りが無いから”でっち上げた”と言うのもあるのかもしれません

しかし、客観的に診て、「先生」とか言われたり、「信者だね」と揶揄されることは裏を返せば、それだけ信用されている。キチンと対象者と向き合い、関わっているからこその賞賛と受け取りました。

ものは考えようですね。

でも実は売りに使うのは、結構なためらいが、今でもあります。
カリスマ化や神格化に近い扱いになる危険性があるのと、それだけの存在が必要なのかと、更なる医療依存を引き起こすのではないのかという危惧がウロウロしているのです。

しかし、実行に至った理由は、
それも、同じ理由です。じっかりと向き合っているし関わっている、その人が主体的になれることを前提に関わっているので、依存にならないように常に気を配り、自分で答えを導き出したと思ってもらうように働きかけたり、自分の力で実行したと思ってもらることが一番大事にしていることなので、色々な失敗や苦悩はあるかもしれないが、何とか成るだろうと思いました。

またまた気づき。気づきは大きなものをもたらす。

実はそれと同じかそれ以上に重要なことに気がついて実行しようと考えました。

デイケアには前も話しましたが、スタッフは他にも居ます。
自分の関わりが密なのもありますが、
「相談いいですか?」
と言われるのは私だけです。

だから揶揄されたりするのでしょうけど・・・

初めは精神科を知らない、接し方を知らない、診方を知らないなど、経験が無く知識が無いものだと思っていました。

なので、稚拙ながらアドバイスなどをさせてもらっていたのですが、どうもピントが合わない。

あまりにも言っていることが多量で、多角的視点など、そう簡単に出来ることではないので、難しいことだからゆっくり感じてもらえればいいと思っていました。

そして、診方の勉強会まで開いてしまいました。何回も・・・・

おこがましいですよね。

果たして同じような見方は必要なのでしょうか?
私自身がそうであったように、誰かに教えられて、診方が分かったわけでもないですし、本を読んだり、講演を聴いて、それを教科書のようにして、実践しませんよね。

大体の場合は教えてもらっても、本を読んでも、そのまま利用できなかったり、したくなかったりして、自分なりな方法で試行錯誤しながら実践しますよね。

なので、診方なんて曖昧なものは、自分で習得するしかないと思います。

診方の方法は色々あるので、その方法の中で自分がやり易いなと思うものを、やっているだけで、正解でもないし、ましてや自分自身が習得しているかといわれると、”習得していません”としか言えません。

日々試行錯誤の繰り返しです。

でもそれが一番大事であり必要なことだと思いますので、
教授の様に、勉強会なんて・・・・・馬鹿ですね。

気づきは人それぞれ、そして感じたことに対しての思考や思いがとても大事

そんな訳で、信者になりつつある人や傍観的な人が、直面して試行錯誤してもらうために、

”午前中は相談は受けません。私以外のスタッフは相談に応じてもらえますので、申し訳ございませんが、よろしくお願いします”

となったのです。

この様にしたことで、実際に色々と問題に直面し、どうした方が良かったのかデイケア終了後にスタッフと会話することになりました。

ほんとうに、どう感じるかどう考えるかは、人それぞれなんだと思っています。
だからこそ、どう感じたかそしてどう考えたかが大事になり、そしてどうしたいのかを考えることが大事なのだと思います。

できるだけ、教授にならないように、努めていますが・・・根が卑しいので持論を論じたくなる。。。
未熟ですね。。

悟りの境地は無理ですね。煩悩と苦悩の狭間を生きて行きたいと思います。

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