こんぼ亭:べてる向谷地さんの講演会に行ってきました。

2018年1月31日水曜日

ココロのしくみ 気持ちコラム

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先日、こんぼ亭に行ってきました。

今月のお題は、べてるの向谷地さんを呼んで”支援とは何か”を改めて考えるきっかけをもらいに行ってきました。

会場は活気で溢れていました。
12:30の会場でしたが、12:10には多くの人が、わさわさといらっしゃり、ご飯を食べたり、のんびりしたり、書籍の販売所にたくさんの人が居ました。

活気がすごいですね。

来ている人は知り合いが多いのか、そこそこで「こんにちわ」とあいさつされたり「ひさしぶり」との会話もあります。

見た雰囲気では、家族の方が多く熱気があった気がします。当事者も多く参加しています。支援者や医療者は一番少ない感じですかね。

べてる人気を感じましたね。

撮影、写真、録音は禁止していますとのアナウンスがありましたが、後半ごろ一人が「カシャ」と音を立ててスマホで、スライド画面を取った。
その後、いろいろな人が「カシャ」「カシャ」と向谷地さんを取ったりしていました。
べてるぽいなとも感じました。

それなら、私も初めから撮りたかったなと思いつつも、必死にメモしまくりました。

書き写せた範囲ですが、メモしてきたので残しておきたいと思います

講演内容


第四十七回 こんぼ亭
 「苦労を分かち合って自分を助けるべれるが昔からやってきたこと」
   参加者:伊藤順一郎さん、向谷地生良さん、秋山里子さん
   場所:行徳文化ホールI&I 2018.1.27

べてる講演会 こんぼ亭

当事者研究について

伊藤順一郎さん>べてるの当事者研究について、病院の中の精神医療とどう違うのか?どこが重なっているかを話せたらと思います。
向谷地さん、現在月に2~4回東京に来ているとのこと。当事者研究を広めるため、講演などしている。

向谷地さん>学会を中心に当事者研究も取り入れられて来た。自分たちの支援の仕方を考え始めている。
当事者の経験を大切にしよう。世界の流れしても治療者としても、その姿勢を取り入れている。
「人と向き合う」「本気で向き合う」その“覚悟”が大切。

伊藤>苦労の中にわざわざいる感じがしますが、どうなんですか?

苦労の原点

向谷地>苦労の原点、苦労を極めた人はとても大事なものを得ていると感じた。人は苦労したり悩んだりすることで何か得ると直感的に思った。
S30年生まれ、殴られて育った。高度成長期。先生、先輩によく殴られた。難しい時代だったと思います。親の青春は戦争が青春。高度成長時代は幻想ではとの思いがあった。テレビでは安田講堂の事件や世界ではベトナム戦争。中2で個人的な問題として悩むのは辞めようと思った。人間としての苦悩として考えようと思った。カッコつけて何とかやり過ごした感じですね。学生時代はどうやったら、苦労できるかばかり考えていた。それで浦河に行きました。苦労のために仕送りも断った。特養で働いたり、ボランティアもやった。その時代の特養は特殊。高度成長の幻想は打ち砕かれましたね。そのころにはソーシャルワーカーを目指していて、難病患者の人や死刑囚の人などにも関りがありました。
当時の精神科の医師から入院の時代から地域の福祉と言っていた。今でもそうですね。ずーっと言っていますね。

その時に
医療は医は“囲い込み”の囲
看護の看は“看守”の看
福祉の福は“服従”の服
と思っていました。

取り組みとしての初めは、アイヌの家族に飛び込みました。役所で一番大変な場所はどこですかといって紹介されました。家族中、村中がアルコール依存症。代々のアルコール依存症の場所です。子供を助けたいと思った。保健師と共に青年の家で合宿して、自作の紙芝居を作った。アルコール家族の紙芝居で、どのように対処すればいいかを読み聞かせた。更に家族への土曜日学校を行った。家族中、村中の人が集まった。長年続いている。

断酒回で教えられたこと

断酒会で教えられたこと。「私はアル中の○○です。」AAではよく笑い、ユーモアいっぱい、依存症の人たちも同じでだと思った。浦河の人は妄想体験やミーティングを行ったり、自助活動が必要と言っている。そしてもっとよくするためにはと考えて、共同生活を行った。自分が住み込みしている場所に空き室があったのでそこで共同生活を行った。

キヨシさんの起業

伊藤>当事者研究についてはどうですか?

向谷地>一番やる気のない入退院ばかり繰り返している“キヨシさん”に何か無いかなと思って、キヨシさんに“お金儲けしない?”と尋ねたら、目を輝かせて“はい”と表情が変わった。それで起業した。商店街の人たちのも話たら、起業している人たちの集まりがあると紹介されて、会に参加させてもらうことになった。会でキヨシさんの体験談の話をしたら、うちの親戚にもいるなど親近感を持ってくれた。またやり方なども親身に手助けしてくれた。その時に注意したのが、“当事者の働く場を作ってほしいので”とかではなく、“日高の昆布を全国に知らせたい!お金儲けがしたい!“と企業としての真っ当な理念を伝えた。そしたら、何も持っていない人には、みんな親切ですね。いろいろとやり方など教えてくれました。

会社としての工夫としては、仕事に来ない、やる気がない人への対立などありましたが。“やる気がない”を研究しました。なんでなのか?どうしてなのか?みんなで考えて改善しました。そしたら、みんながみんなの弱さを感じました。なので対立などなくなりました。

“やる気の無さを研究すること”でやる気にする。失敗の仕方を工夫すれば成功に繋がる。どういう風に失敗の仕方をすれば良いかを考えました。

当事者の立場から

伊藤>秋山さんからも当事者研究について一言お願いします。

秋山>2004年に“うつ”でべてるに来ました。生きづらさを感じていた。母と見学しました。あまり覚えていないのですが、ここは何か違うな。なんといっていいのか、今まで体験したことないと感じました。べてるに来る前にフィンランドにいて、母からべてるのことを教えてもらい、国際電話で川村医師に電話しました。そして笑ってくれたんです。それが、なんだか受け止めてくれた感じで。自分の苦労など受け止めてくれた気がして泣いてしまいました。そして、浦河には“葛藤クラブ”というものがあるよと言われた。その時の自分はあまり思い出せないのですが、私じゃない誰かが乗り移った感じでした。電動ノコを持ち出したこともあり、よく覚えていないんですけど。常に状況を変えたいと思っていた。というのはあったと思う。べてるでは始めは居るだけでした。みんながしゃべったり話したりしていることを居るだけでした。だんだん自分の言葉を出せるようになった。自分の言葉を取り戻した感じです。

べてるは”治る”という言葉は使わない

向谷地>べてるでは“治る”という言葉は使わない。それが“生きること”に必ずしもつながらないから使わない。べてるの人が「最近、幻聴が無くなってきたんです。どうしよう。べてるに居られなくなる」と言ってきたんです。なので「大丈夫、生きるというのはそんなに簡単に幸せにさせてくれないから、また次の問題がでてくるよ」と伝えました。「そうか、よかった」と本人は言っていました。

伊藤>医療は病気となれば、生き方などは入れず、治療学で入ってくる感じ真逆ですね。

向谷地>精神医療はもともと人が生きるから始まり医学の発展で治療学が発生した。段々と研究が進み脳科学とかいろいろと解明され、どんどん生き方が離れてしまった。
海外は、ヨーロッパなどはそこのところが違う。残っている。
医学的意味が内科や外科と違う。なので心の病の人たちの苦悩を見ていこうと思った。その背景は貧困や人とのトラブルなどあり、医療という括りのみでは無理。病気は病気というラベルだとおもいます。

伊藤>トリエステではそうですよね。

向谷地>昔は精神科医の診立てや判断が中心だった。専門家じゃないと駄目とか、神格化された感じがある。
日常のことであるということ。スペシャリストに任せるというのは幻想。人が苦労して悩むのは当然のこと。悩みがあればみんなで悩みみんなで考える。イタリアではそれがまともであり普通のこと。日本は非合理的で幻想的。

顔面をバッティングする人

“顔面をバッティングする人が居たんです。自分でもどうにも止まらない。病院で注射していた。べてるに来て、メンバーのところに居てもらったんです。そしてメンバーの前で顔面叩き始めたんです。そしたら、隣の人がその人をくすぐったんですね。そしたらちょっと止まったんです。なので、みんなでくすぐりました。そしたら止まったんですよ

子供に幻聴により暴力する母親

子供に幻聴により暴力する母が居たんですね。講演会にもよく来てくれていたんです。壇上から声かけたんです。「今日も幻聴さんは来ていらっしゃるんですか?」「はい居ます」「名前は有るんですか?」「黒です」「黒さんいつも付き添ってもらって大変ですね。いつもありがとうございます」と言って拍手したんです。みんなで拍手したんですね。そしたら「黒が笑っています」と言われました。そのあと「黒はさみしかったみたいです」と話。「黒は子煩悩になりました。医師に相談したら、黒を消そう消そうとしたのに消さないでくれてありがとうございます。」と感謝されました。

当事者研究の医療観察版

当事者研究を医療観察の場所でやりたいと言われて、職員がやっていく中で作ったものです。

ーーーー原則ーーーーー
●非審判的・非強化的態度:スタッフは本人の語りに対して内容が妄想的かどうか問題がないかなどは評価しない、治療的態度を少なくすること
●外在化した態度―人と問題を分ける:
「問題ごと」に対して、批判的でも「人」に対しては常に共感的、肯定的な態度を大切にする。
●積極的関心:
曖昧な語りや本人独自の言葉遣いに対して、その人の生きる世界を理解するために積極的な関心を示し、質問したり対話を重ねながら聞き、意味を解き明かしていく。
●対話の三角形:
どんな場面でも経験の出来事(テーマ、問い、課題)を自分たちの前に置き(三角形をつくる)研究的対話を重ねる
●見える化:
内容の視覚化、データ化に努めパソコンなどを見ながら本人と一緒に図式化したり、ホワイトボードや絵やグラフ、流れ図を描いたり時にはアクションを交えながら対話を深める。

休憩にします。

後半は質問に答える形となります。質問ありましたら書いて渡してください。

質問タイム

伊藤>休憩中にみんなさんの質問用紙をみさせてもらい。100枚はありそうですね。質問が多いものなど少しまとめて、質問していきたいと思います。

質問家族の中で、当事者研究というのはありあるのか。

向谷地>基本的には“わからない”その人その人に合った形で何が合うか分からないので手を打ち続けている。それが良いことではなくても。。。悪い事でも影響して良くなったりします。

幻聴の声はローカルカルチャーに影響を受ける幻聴を経験した人たちが聞く“音”や“声”はその変化は個人の社会的、文化的構成の影響を強く反映させる。

幻聴は思考もそうだが、人間関係や社会を礎に影響する。

換気扇が悪口を言う

“換気扇が悪口を言う”とある人が言ったことがあります。それは私たちが居場所、環境を作っている。かもしれません。”苦情があるならいつでも言ってください“と幻聴さんに伝えてほしいと言いました。そしたら換気扇から向谷地さんの声が聞こえるようになり、怒って換気扇の声に説教していました。ありがとうございましたと言われました。

病気の捉え方

伊藤>病気のとらえ方についてはどうですか?
向谷地>当事者研究を始めるにあたり、フィンランドのオープンダイアローグは行ってみるとプログラムなんてやってないんです。考え方や思想なんですよ。
いま流行りでいろいろと言わていますが、3年くらいしたらすっかりになるのでは。だから分かりにくい形のほうがいいんです。私たちの思想や発想が大事。どうこの現実を生きていくのかが大事なこと。そのための生き抜く手立てが出てくる。

問題が起きた時
●問題を問題として取り上げると問題は問題のままとなり、更なる問題が生み出される
●問題は何かを何かに分けて変化させようとする。意味のある出来事として理解させる
●そのために問題の渦中に生きている人と問題を分けて捉えて、その問題の中に可能性を見出し問題という形の解決策の中で出口を求めてもがく、その人自身へのたゆまない問題

自分自身で共に
私は私のことをよく知らない
私が何者であるか私が何か行うかを仲間と共に探る。
否定されるのは痛い
共感されたら嘘くさい
どうせ私のことなんか誰もわかってくれないという怯えの中で恐る恐る否定的だった経験に形を当てはめてみる。
他者に向けて、これまで一度も表現してこなかった自分自身

向谷地>今まで言っていたことだけど、薬だけで治すと性格が悪くなると思います。後で人間関係で苦労すると思います。嫌な人や苦手な人などいるので、出てきたら回復だね。
今までの医療は、自分はダメな人間だと思う人をその枠を取り、自分たちの世界(社会)に入れる発送だと思います。しかしそうではなくて、その人の世界にみんなが入ればいいんじゃないということです。みんながその人の世界に入るといろいろと見えてきますし、おかしいのは我々ということになります。

以上が講演で見聞きしたものです。

薬だけで治った人は性格が悪くなる

色々と思い出したり考えたりしましたね。
そうだよな。と再確認させてもらったことがあります。

書き写したかは覚えていないですが、話の中で?記事の中で?
向谷地さんが、
「薬だけで治った人は性格が悪くなる」
という言葉を述べてくれています。
私たち支援者にとって、とても勇気づけられる言葉だと思います。
医者は医療は医学はどうしても治療というと薬物療法や精神科医が実行する精神療法という言葉。
本を読んでも、ネットで検索してもその言葉が多く載っている。

なので、うれしいです。

そして、思った。

先導者より道しるべ

べてるのような向谷地さんのような、伊藤さんのような、先導者が欲しいと思ったり、教授を賜りたいという気持ちがあるが。。。
それとは逆に、自分だからできるも、やりたいこと、今まで培ってきたことが大事。
考えることや発想力が大事と言われた様な気がします。

悔しい思いのためか、自分で発想して想像でき実行できることをやりたいと無性に思っています。

私なりの囲い込みじゃない医療。社会に適応し、施しや養護ではなく、社会に存在価値を見出せるような、合理的な、医療として、リハビリとしての関りが出来ると思っております。そして、それが当事者にとって有効的で利用価値のあるものだと思います。

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