精神デイケアでの支援者としての心構え

2017年12月18日月曜日

支援方法と対処 心構えと気持ち

t f B! P L

最近気を付けているのですが、稀に利用者から“先生”と呼ばれることがある。

その言葉が、嫌味なら、まだ有り難くもらいますが、
敬いと尊敬の念が籠って居そうな、故意ならば問題でありですよね。
そして、それすらも凌駕するような、無意識なら、かなりやばい状態と思います。

というわけで、今回は、支援者の心構えについて話したいと思います。

 

まず先生とはなんだろうか?

人は先生と呼ぶには大方二通りある。今それしか考えられないだけですが。

  • 敬いの気持ち
  • 形容詞として

”敬られる”ということは、指導者として有難いことなのかも知れないが、支援者としてはどうなのだろうか?

この人なら大丈夫。道を示してくれる。助けてくれる。

そんな気持ちが芽生えた、信頼の証なのでしょう。
言われて嫌な人はあまり居ないと思います。

 

信頼が重い、期待が重いと、これからのことを考えると、重く感じるかもしれません。

しかし、そんな悠長なことを言っている場合ではないかもしれません。

 

信頼とはとても有難いもですが、有難いのは相手との立場が対等である場合だと思います。

 

簡単に教祖に陥る

支援者と患者では、対等ではありません。
なぜなら、入れ替わることが無いからです。

 

常に、支援者と患者であり。
支えるもの、支えならが自分の道を作るもの。

初めは、単純に、この関係が成り立ちます。

 

信頼を得ると、さらに友好的な関係となります。
それと同時に、関係性がさらに強くなる可能性がとても高くなります。

指導するもの、教授されるもの。

 

さらに、支配的に、関係性が強くなる可能性も秘めているので、偏ると。

 

教祖と信者

この関係は、意図しなくても、成ります。

 

自分の道が”正しい”と常に思い、自己肯定を持ち、
勤勉であり、正直者で、正しい人で在りたいと思う人こそ。
教祖の素質があり。

更に、人のために何かをしたいと思う人は教祖になります。

しかし、これはもう。医療ではないですよね。

 

支援者でもない。

 

自己陶酔の上に有能性を示すために、他者操作まで発展しています。

 

対象者の現状をきちんと理解し、忘れないことが大切

患者は、辛く厳しい現実を生きています。
逃れる術や差し出す手はどれもありがたいんです。

その手がどんな手でも自分に向けられた、差し出された手なら、
心のそこからありがたいんです。

 

この精神状態を理解していないと、
支援者の枠から逸脱します。

 

教祖にならないためには、
常に、自分の行いが正解とは思わないことだと思います。

 

今の選択肢や思考は最善であるが、最良かは分からず、今のみ有効であるということ。
そして、その答えは相手を思い描き考えた自分が出した答えなので、その相手の考えではないこと。主体が相手であり、自分は相手には成れないことを常に意識すること。

 

人の思いはそれぞれで、満足の仕方も、生活の質も、それぞれ。
支援者は、それに寄り添うことが役割であり、その人にとっての生活の質を充実されることが仕事だと思います。

 

十分に注意しつつ、自分の行いに傲りを持たず、疑い、確かめ、謙虚に。

いち支援者としてあり続けたいですね。

 


余談:

最近やっと、デイケアは何するところか、分かった気がします。
記事にするには、まだなので、ここでちょっと書いておきます。忘れないために。

デイケアは、病によって歪んでしまった、欠けてしまった主体性を修復するところです。

人は木のようなもの

 

主体性は、心の奥底に、自分の根幹部分であるため、修復がとても難しく、
薬や受診だけでは、難しい場合が多くある。また、自己修復も、自分の根幹に問題があるため

うまく働きません。
社会は容赦なく根幹を攻撃してきます。自己防衛もままならない中、薬や受診だけで戦い立ち向かうのはとても大変です。

 

デイケアは唯一、自分の根幹を修復できる場所です。

修復にはとても根気の要る作業ですが、専門スタッフと、同じ気持ちで通う仲間たちと体験することで、修復も可能になります。

修復をより効果的に働かせるために、プログラムや取り決めごとなど様々なことがあります。

だからこそ、プログラムの多様性と流動性が必要であるが、対象者が適用できるように、安心安全を守ることがとても重要であること。

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