今回は、精神科デイケアに今必要とされていることや望まれていること。
そして。それらを踏まえてどのように展開して行くべきか考えていきたいと思います。
精神デイケアの立場とは
現在、精神科デイケアは、いろいろな理由により、存在自体が危ぶまれ、今までの胡座商売から寝首を掻かれ、早急に対策しないといけない!と随分前から言われていたが、それでも”のほほん”として生活している状況は変わらず。
現在でも苦悩しながら、息も絶え絶えになりながらも存在するデイケアと、一歩先に抜きでてはいるが、またまた利用者減少に苛まれてたり、他施設の恐怖に慄きつつ不安の日々を暮らしているデイケアが存在していると思われます。
そんなデイケアたちを利用者の立場や状況において考えていきたいと思います。
そもそも、精神科デイケアを利用したい人はいない。
”精神科デイケアに通いたい!”と主治医に話す人はどれだけいるのでしょうか?
- 友人や知人がデイケアに通っていて、情報をもらい興味を持った人
- 役所や機関より情報をもらい勧められた人
- ネットなどより情報をもらい通いたいと思った人
- 過去に利用したことのある人
このような人が”精神科デイケアに通いたい!”となったり”精神科デイケアを見学したい”と言うと思いますが、多くの人の場合そのような気持ちになるでしょうか?
- 精神障害を持つ友人が回りにいるでしょうか?更に勧められて通いたいと思えるか。
- 役所や機関に繋がる前に病院やクリニックにまずは繋がるのではないでしょうか?
- ネットなどの情報を現代人が何処まで信用し手を出すのでしょうか?
- 過去に利用したことある人なら、なんで辞めたのでしょうか?良い印象がないのでは。
大概の人は以下のような否定的に捉えるのではないでしょうか?
- 興味が無い
- 知らないところは行きたくない
- 病人扱いされたくない
- 人が苦手なのに、なんで人と混じらなくてはならないのか
- 通う元気もない
- オママゴトみたい
- 行く必要性が感じられない
このような理由から、ほとんどの人がデイケアを選択しないのではないか。
知らないことには、本能的に女性は警戒心が出る。男性の好奇心は・・・・
更に、次のようなことからも精神科デイケアは選択されづらい構造になっていると考える。
人は、知らないことや、体験していないものに対して、拒否的傾向を取ります。
それはすなわち防衛反応というもので、男性より女性のほうが強く出るとも言われています。
本能的に、知らないことや、新しいことに際した際に、女性は家族を”守らないと”と言う気持ちが先行し、警戒心を強めます。
一方、男性は危機に直面した場合は”身を守る”という気持ちが発生し逃避や回避行動が起こりますが、新しいことや知らないことに対して、”何かを得れるのでは?”と好奇心が出て一歩踏み出すと言われます。
しかし、現代社会は好奇心より秩序であったり世間体や規範から逸脱しないように注意しないといけない時代だと思います。
人と交わり協力し、敵対したとしても距離を保ちつつも共同しないといけない。一人では何もできず、自分の家族だけを守れば済むものでもないのです。
そのため、”好奇心”よりも”協調性”を持たないといけません。
なので、抑圧しながら社会に馴染むことを幼い頃より教育され、修正されて社会に出てきます。
人間が多く住み、それぞれを尊重しながら生きていかないといけない社会では必要不可欠なことだと思いますが、一方で常に”警戒心”を働かせながら生きることが必要な社会でも有りますので、男性も”好奇心”よりも”防衛反応”が強く働くのだと思います。
それ以上に、精神科に通院の方は、精神疲労と混乱を抱えながら生活しているため、健常者よりも更に、知らないものへの拒否反応は強く、話をきちんと理解する前より受け入れないのではないかと考えます。
大概の人は、精神科デイケアという独特の意味合いを持つものに対して、懸念や偏見が表出し、未知のものが悪しきものへと変化し拒否反応を示すのだと思います。
なので、”精神科デイケアを利用したいとは思わない”となるのだと考えました。
”精神科デイケアはそもそも必要か?”
「ほんとうに必要なんだろうか?」
私の働く場所という意味では必要であるが、
そもそも、当事者にとって必要なんであろうか?と考えてみる。
結論は”とても必要!”と謳いたいし、心から思っている。
しかし、思考を巡らすことが難しいのも事実。
記憶をたどることは至難の業・・・そして迷走
実はこのテーマからの熱が自分が冷めている。
以前、友人から”自分の院所のデイケア特徴と3つ答えて”と問われて返答に困ったという話を聞いてから思案し、思いを巡らし、ある程度の自分の中の到達点まで達したが、いつ迄も頂上にいるわけでない。
到達した時点で終了となるため、時間とともに麓まで下山し、記憶も登った経緯も薄れてしまうのである。
その記録を残したいためにブログを書き始めたのであるが。一度登った山を更に復讐しながら登るのは大変な行為であると改めて感じている。
すでに、出だしから迷走しているのが自分でもわかる。
やばい記憶が逃げた。。
これ以上は今はかけない。
残りカスだけでも少し書いておく・・・・
利用希望者というのはいないと思います。
医師からの指示があり、はじめて知る人は少なくなく、
言われても、自分は必要ないと思う人の方が多く、より社会と近く、自立していればさらに多い。
なので何で人が来ないのか?と悩んでいることは、考えていないのと同じ事だと思う。
利用する人の状況や心情になって考えることが、利用者獲得の鍵となるだろう。
その鍵とはなんだろう。
やっぱり”自主性!”
謳い文句は
”自立獲得を訓練できる”
自主性では伝わらない
自立を伝えたいが、自立では、自分が幼く見えてします。
社会適応を快適に。。適合不合者との烙印。
そもそも障害者、病気。を認められないのにそんな場所はきもちわるいという概念を打ち砕く意味がある。
概念以上に、苦悩していることに響かせる。
耳障りのいい言葉はすでに形として行っているところが多い。
しかし本質はないと思う。
本質とは何か、
気持ちを伺い。言葉を紡ぎ。心を編むこと。
こころの修復屋。
これでは伝わらない。使ってみないと真贋はわからない。
利用者の苦悩は。
●人との関係で苦悩している。
いじめられた。蔑まれた。猜疑心。などにより、人との関わりを経ちたいが、経てないのが人間社会。
そのため苦悩しつつも、疲弊しつつも息を潜めて呼吸している。生活とは言えない場合もある。
●病気を認められず。逃げたい!でも逃げられない。逃避・回避。どれも通用しない。他者からの非難を感じる。病状か正常かそれもわからない。猜疑心だけが育ち、不安感が寄り添う。
それらが形を変えて表出してくる。
●隣人が起こって怖い。
●職場で虐めにあっている
●家族や親族から疎外感や暴力に逢っている。
●気持ちが不安定で眠れない。
●会社が怖い社会が怖い、人が怖い
診察室で訴えるすべての根底が関係していると思われる。
なので当事者にとっての望むものの真意は。
- 安心したい
- 眠りたい
- 穏やかに暮らしたい
- ホッとしたい
- 明るく生きたい
- 自分に自信を持ちたい
- 人とうまく付き合っていきたい
- 普通に生活したい。
やっぱりこれを考えると、薬だけでは不可能です。
きちんとした修正や治療を必要であり、
服薬や診察、自然治癒力では回復は難しい場合もあります。
だから医師の指示書が必要。
そのためには医師の理解が必要であり、
医師への説明をして理解してもらうことが大切。
医師の仕事は、
能力の上に制度的に指揮者であるため、とても多忙です。
また、医師会が作り上げた、殿様商売でも有りますので、
”分かってもらう”が一番適切で一番の近道だと思います。
そもそもの土俵が違いますしね。
そして、患者が必要と思われるようなシステムが必要。
患者が通いたいと思えるような、きちんとした理屈や理由、理論が必要。
この先まで考えていたが逃げました。
でも脱線したが、なんとか、
多分その時に感じた到達点までの通過点までは辿れたのでは?
かなりの違和感を感じているので、違う道を辿ったのかもしれませんが、これはこれで、真実だと確信しています。
では、また。
2017.7.10 追加
またまた、付け足し。。
”今の精神科デイケアに望まれるもの”そして”必要なもの”
それは。
”治療です。”
耳障りのいい言葉でも、表面上のことでもなく、プログラムとか支援とかではなく、
治療してもらえることです。
良くならないのに、何年も何十年も通ってくれる。利用者を馬鹿にしすぎたのだと思います。
しっかりと、治療をしています。効果が数字やプログラムではなく、利用している当事者が思うことがとても大切で、それを謳い、それを実践していくことが、今後も存続できる唯一の方法だと思います。
では?どうやって詠うのか?謳い文句はあるのか?
まだ言葉にしていないですが、それはまた浮かんだら書きます。そして、実践しないとですね。
生き残れません。
2017.7.21 追加
ちょっと違うのかもと、考えなおしました。
”治療です”は意味がわからない。
いろいろな捉え方ができるし本質ではない。
もう少し形になったので書き残しておきます。
現在考えるのは、
ということです。
- 病気によって体験できなかったこと
- 病気によって失われたこと
- 病気によって難しくなったこと
- 病気によって分からなくなったこと
それらと向き合いながら、寄り添いながら、
自分を見つめ、発見し、修正、補正することが
自分らしさを得られる方法。
そしてそれができるのが”精神科デイケア”
それを当事者にキチンと的確に必要性を伝える必要がある。

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