身近な存在の精神科の病気
近年、精神科の病気が段々と身近に感じている人も多いのではないでしょうか?
うつ病が一般的認知となり、身近な人にも病気になっていたりなったことがあったり、肌で感じることが増えてきていると思います。
うつ病以外でも、適応障害、感情障害、統合失調症と精神科の病名を知っている人も多いと思います。
さて、今回は、なんで精神科の病気について
ではなく、精神科の病気がなんで起こるのか。
文献や検索すれば学術的にいろいろ書いてあったりしますが、よくわからないというのが実際だと思います。(わからないのは私の学力がないだけかも)
なので、難しいことではなく、
なんでなんだろう?
どうしてなんだろう?
と考えて、ある程度の自分なりな決着がついたので、健忘録として残しておきたいと思います。
まず、題名にあるように、自我に関係しているという結論になりました。
そもそも、自我とは何でしょうか?
よく分からないので検索してみます。
自己。自分。 哲学 天地一切のものに対する自分。エゴ。 心理 自分自身に対する、各個人の意識・観念
検索したらこんな意味が出てきました。
これだけだと、意味が曖昧で今回の理解につながらないので、他のものを引用してみます。
自我
自我(エゴ)はエス(イド)からの要求と超自我(スーパーエゴ)からの要求を受け取り、外界からの刺激を調整する機能を持つ。無意識的防衛を行い、エス(イド)からの欲動を防衛・昇華したり、超自我(スーパーエゴ)の禁止や理想と葛藤したり従ったりする、調整的な存在である。全般的に言えば、自我(ego)はエス(id)・超自我(super-ego)・外界に悩まされる存在として描かれる事も多い。エス(イド)
エス は無意識に相当する。正確に言えば、無意識的防衛を除いた感情、欲求、衝動、過去における経験が詰まっている部分である。超自我
超自我は、自我とエスをまたいだ構造で、ルール・道徳観・倫理観・良心・禁止・理想などを自我とエスに伝える機能を持つ
引用した部分を整理し自分なりに解釈したことは、
イドという、本能や欲望(楽したい、食べたい、寝たいなど)を超自我の社会規範や倫理などのガイドラインが常に照らしあわせ、自我が現実との折り合いをつけて社会生活を営んでいる状況。
この、自我の機能が弱ければ、無垢な本能が表出する。しかし現実で本能が欲望が成就する可能性は低く、何らかの打撃を受ける。
また、自我が曖昧なため超自我(社会ルールなど)で補おうとすると、イドを抑制する。
本能や欲望が発揮できず。苦悩。不安定となる。
こんな状況で心の構成ができていると思っております。
そして、私自身の考えでは、自我もイドも、超自我も完全に機能し、安定したバランスをとっている訳ではないということです。
- イドは、生まれ持ったもの。本能と欲望なのでそう考えます。
- 超自我は、社会生活(家庭・学校・会社など)で社会生活ルールを学び、各々において積み重ねていきます。
- 自我は、イドと、自我を調整し、自己・個人を形成して行くもの。そのため人ぞれぞれ。
バランスや構成は、それぞれ違う。人の顔と同じようなもの
人により各々の構成も違うしバランスも違うのなので、人の顔のようなものだと思います。
目と鼻、口、眉毛などのパーツは同じですが、配置や形が違うだけで、綺麗だったり。可愛かったり。愛嬌があったり本当に千差万別だと思います。
そして、このバランスはそれぞれにおいて、均衡を保っていますが、振り子のように、常にグラグラと揺れていると考えます。
イドの欲望が大きくなり、自我で抑制できなかったり、 超自我を強く意識し自我を弱くしたり。
しかし、振り子のようにバランスを取ろうと自然とする機能もあります。
自己免疫機能のような機能と考えます。
人はストレスを感じたり、疲れたり、気持ちが高揚し過ぎたら、ある一定まで行くと、逆の作用が出るように行動をとったり、気持ちになったりすると思います。
しかし、過度に、強いストレスを与え続けたり、自我で抑制したり、自我を弱めたりすると、バランスを戻す機能が崩壊し、元に戻れなくなる状況になります。
また、自我の成熟が弱く、調整不足な状況下では、より崩壊になる可能性が高くなると考えます。
精神の病に罹っている人は、無垢な人が多い、純粋な人が多い、と言われるのではないかと思います。
人を騙せることはある程度、自我が成熟していないとできない
欲望を他者にぶつけて自分を守ったり、
超自我を振りかざし、他者を支配し、欲望を満たしたり、
することは、ある程度の自我が成熟していないと、イドと超自我は制御しにくく操縦できないからだと思います。
治療には自我を意識することが大切
自我を意識して、当事者と接することが大切になります。
自我を意識、水面下のイドの傾向、超自我の構成、それをどのように自我が抑制・調整しているか。
それを診れることで、その人を理解することに繋がり。
治療にも役立てられるのだと考えております。
これが”診立て”となるのではないかと思います。
人の顔は表情で様々に変わる
先ほど、自我・イド・超自我のバランスは人の顔のようなものと表現したと思いますが、
その構成も”表情”と言うもので、笑顔になったり、怒った顔になったり、悲しい顔になったりといろいろ変化します。それによって、可愛らしいとおもったり、人に心配してもらったり、人を遠ざけたりと人との関係に影響します。
心のバランスを一度崩してしますと、これらの表情を作ることが難しくなったり、場面を間違えたり、表情を間違えたりします。
その人のこころにあった表情、出したい表情を練習・実行することが治療
診立てから、その人なりな心のバランス状態を把握し、イド・超自我・自我が機能しやすいように、こころにあった表情を出せる練習を整え、実行していくのが治療だと思います。

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