デイケアの担当制について考えてみる
精神デイケアは利用するメンバーが通所する場所としてデイケアがあります。
目的は様々ですが必ず、医師の処方箋が必要になります。
ケア=治療
薬と同じように治療なんですね。
だから処方が必要になります。
そしてこのデイケアですが、職員がいます。
管理人でなく、支援者としています。
支援者というのは難しいですね。
時に、誘導、助言、見守り、指示、示唆、寄添いなどの行動を元に、プログラムを一緒に考えたり、行ったり。治療的になるように助言したり、誘導したり。
デイケア内以外の生活リズムや食生活、親や子の相談や支援も時には行います。
また将来に向けて準備する手助けや助言も行います。
なんとなくですが、精神科デイケアがわかったところで、
今日の本題に戻ります。
このように職員は支援者として、利用する患者さん(メンバーと呼びます)に対して、より有効に支援できるように担当制を用いている場所が多くあります。
多くの利点を持っていますが、良い面ばかりではなく悪い面も持ち合わせていることを忘れてはいけません。しっかりと良い面悪い面を把握した上で、その施設でのやり方を考えたほうがより有効だと思います。
担当制を用いての利点
- いろいろな情報を言いやすい、聴きやすいと関係性が密になりやすい
- デイケア以外の情報や考え方、生育歴、既往、家族間などの情報が得やすい
- 多くの情報からより治療的な計画が立て易く、実行しやすい
- 理解してくれる、見ていてくれることの安心感が増量し、自信が持てる
- ちょっとの躓きや混乱した際に、すぐに相談でき、安心感が得られ、自己調整や修正、助言を貰え、最小限に抑えることができる。
- 多くの支援や助言により、自分のやるべきことが明確になりやすく、進む勇気が持てる
- 自信を得て、自分の人生を自分の足で歩けるようになる
担当制の不利点
- いろいろな情報を言いやすい、聴きやすい関係が依存や抱え込みに繋がる
- いろんな情報を得ることが出来るが膨大過ぎで必要な情報が分からなくなる。
- 多い情報から必要な情報が抽出しにくく、更に関係性の歪みにより、治療的計画が保護的であったり、抱え込み傾向になり、よりその関係性が強固される。
- 理解してくれる、見ていてくれることからの安心感から依存強化し、医療離れが出来なくなったり、担当離れができなくなる。
- ちょっとの躓きや混乱した際に、支えてくれるだろう、助けてくれるだろう期待感が増大し、自己調整や修正を行わず、助言や指針に頼る傾向が強くなる。依存の強化
- 多くの支援や助言により、自分で考えることをせず、指示を待つ傾向が強く、担当依存が強化され、担当の意見で人生が左右される。
- 自分で自分の人生を歩かなくなる。
- 担当が移動や退職、結婚したりすると、極度の不安感に陥り、再燃の可能性が大きくなる。
担当制にすることでの利点や不利点を挙げさせてもいました。職員側、患者側と分ければ更に詳しく整理され、深く見ることができると思いますが、この辺にしておきます。
また、見てもらってわかるように、物事には良さを悪さを兼ね備えているということです。
ありがた迷惑。
大きなお世話。
親切心が仇になる。
むかしからいろいろなことわざがあるように、良い面悪い面は表と裏の関係で、大事なのはどちらが今必要なのかだと思います。
良い面だけでは物事は進みません。
裏の面をどのように使うかで良い面の効果が増大し、良い面を引き出すことにつながります。
なのでさじ加減やバランスが大事と言われるわけです。
しかしさじ加減やバランスは経験が必要!何事も経験しないとわからない。などという人もいると思いますが、そうではないと思います。
”この時には、このようにする。”
”これ時は、こっちを使う”
”それは放っておいても大丈夫”
など、疾患において、社会規範において、心理学において様々なルールに照らしあわせてのガイドラインがあり、その多くが書籍などで学ぶことができます。
しかしながら、私自信はそれも、一面しか捉えていないような気がします。
私とあなたは違うし、同じ病名がついても全く異なるし、社会規範もそれぞれにおいて違っている。
心理においても、育った環境や興味関心が違えば、思想や思念は大きく違います。
だからガイドラインという一面なのだと思います。
一面がわからないと基準も何もなく、どこから見て良いかわからないではないか?!
という人もいると思います。でも、基準は本当に必要ですか?
他人を知るのに、自分を知るのに、誰かの基準で他人を見ますか?誰かの基準で自分を見ますか?
その基準があっている保証はあるのでしょうか?
その基準は普遍的なものを思っていませんか?
この基準があれば万能に使えると思っていませんか?
じゃあどうすればいいの????
まず、自分たちが生きている社会を考えてみましょう!
個:ヒトはもともと自然界の中に生きるいち動物です。
家族:ヒトは個から始まり、異性を求め、家族を形成し、家族以外は敵であり、敵から家族を守ります。
村:家族単体では危険も多く、食料確保も難しいため、複数家族の形態をとります。原始の形態としては、ひとつの家族の子孫で構成する同血族関係のとして形態です。親近者同士の子孫繁栄は難しく、奇形や欠損が多く出ることがわかり、隣村との結婚で血を薄めることを行い。同時に血族が広くなり、友好範囲も広がった。 同時に敵対する村も生きるために攻撃したり、防御したりしていた。
町:より村が広くなり、共生するため機能的になり町を形成する。他の町との争いは同様にある。殺し合い、奪い合いは変わらず。
国:さらに町が大きくなり、より複雑に様々なものや機能が併せ持ったものが国となる。しかし根底にはヒトという個体が合わさっているものであり、生存するための機能であるため、国という大きい組織となっても、他国との諍いは無くならない。更に、生存するためだけではなく、奪う、服従させる、獲得する行為自体に魅力を感じそれぞれの国が戦うようにもなった。
国際社会:国それぞれが協力し争いのない社会を目指す社会。先進国が先導して掲げ推進してきたが、発展途上国や植民地化された国や地域、迫害されて来た地域や民族において、諸手で喜べばい現状化にあり、内戦やテロなどのヒト同士の争いは依然として変わらず存在する。
すこし視点がそれましたが、何を言いたいかは、
”ヒトは争うものということ。”
ちょっとあまりに暴言なのでその言葉の意図ですが、
ヒトは自分や理解した他者には共感を示し、守ることや共生することを積極的に用いるが、理解できない、理解しない、自分とは距離のあるものに対して、拒否を示し、攻撃し排除しようとする。それが同種族であったも加減にはならず、同種族だからこそ攻撃される前に、自分を家族を村を町を国を守るためにも攻撃したり、排除します。また快感を得るためにも攻撃します。
争いばかり行い、日々が危険の中にあり、人自体・生命体自体を根絶する方法まで開発され、地球自体を破壊する力まで得てしまい。やっとヒトが共生しないとヒトが生き残れないと理解し国際社会が生み出された。
元々家族でも村でも町でも国でも、それぞれを守るルールや社会が存在しています。
ルールの決め方も様々で継承や、家長が定めたり、代表者が考えたり、代表者を血族で継承したり、代表者を選出しその人たちで考えたり。
そもそも、なんでルールを決めないといけないのでしょうか?
社会はなんで必要なんでしょうか?
継承する必要があるのでしょうか?
私の答えは、
”ひとの考えや規範、興味関心はそれぞれであり、利己的であるため、何もないと争いが生まれヒトが繁栄せず、大地まで滅ぼす危険生物だから、曖昧でも一定のルールを定める必要があり、それが社会である”
よって社会とは曖昧なもので、自分勝手なヒトがヒトと共生するために掲げだ、いち基準であり、それを努力し修正し続けることで、継続し繁栄できるものと思っています。
だからやってはいけないこと、してはいけないことを義務教育で矯正され、利己的感情を調整や修正するのだと思っています。(だから学校が嫌いだったのだと、実感します。)
またまた、どこかに行きましたね。
どーんと戻ります。
えーっと。
他人をみる、自分を見るガイドライン。
匙加減。バランス。
医療的、心理的、社会的なガイドライン
物事の良い面悪い面。
担当制の良し悪し。
キュルキュルと巻き戻し。
はいはい、つながりました。
言いたいことは
”ガイドラインは一面ではなく、グレーゾーンの帯”
帯なので一面でも一点でもなく、これがあれば万能というものではない。
グレーゾーンの帯
なので、振り幅が読みて、使い手、環境において広がったり狭まったり、いろいろ多様性があるということ。
使い方の注意として、柔軟に、組み合わせて用いること。
すべてのことはヒトの心や思い、本能と理性、抑制を衝動から成り立っている。
これが不変であり物事の定理だと思います。
ふー言い切ったぜ!!
あれ、担当制がない場合の良し悪しを書いてない。
うーん。面倒だな。
担当が無くて良い点は
- 縛りがない。メンバーもスタッフも気がつけば言える、関われる。
- 特性が発揮できる。メンバーやスタッフの特性で関係性が構築される。
- 好き嫌いのヒトの本能で関わることができる
担当が無くて悪い点は
- 縛りがないので、関わらなくても良い。
- 特性を隠すこともでき、発揮しなくても構わない。
- 治療的な環境や友好環境を構築するヒトとしないヒトがでる
- 利己的に振る舞うことが許される環境下になりやすい
- 好き嫌いの本能のみで理性や抑制、衝動など調整することがない
こんな感じかな、要するに、どっちでも良いと思います。
ものごとの良し悪しを、ひととの関係性を距離をしっかしと見据えることがとても大事なだけ。
形にこだわるな!!
見せかけだけじゃなく、
内容な質にこだわりを持ちましょう!
リハビリも、気持ちも、思いも、形じゃなくて。
内容だよね。
どうして、そう思うのかが大切。
なんで思うのか、
それが分からないから、
ガイドラインという、
ガイドベルトという帯が必要なんだよ。
曖昧が大切。
それがないから辛いし、病気にもなるんだと思います。
色々話してきましたが、これも話の切り口のひとつの切り口である。正解ではなく、ひとつの考え方としてとらえることが大事。
曖昧にそして、自分なりな解釈と、思いが大事ということです。
あまり考えこまずに、適度に思い、悩みましょう。

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