記憶ほど曖昧なものはない

2017年3月14日火曜日

気持ちコラム 主張と思い

t f B! P L

昨日、お金の使い道について話し合った。

内容はこういうものだった。

みんなで使えるお金がある。

そのお金は以前みんなで稼いだものであるので、みんなで使い道を考えないと。

というのが発端。

食べたい飲みたいという人。

どっかに行きたいという人。

そこから、どうやって稼いだの?との質問が出て。

経験者が経過を説明。

経過を説明してくれた。

苦労したのだと分かった。
大変だったという。

それは大変だと参加してなかった人もいう。

そして、そんな思いで稼いだお金は簡単には使えないと。

「重いお金だ。」と誰かが発言。

「寄付したらどうか」と意見。

「みんなで使える備品を買いたい」と意見。

「植物を買いたい。」

「動物を買いたい。」
「世話はどうするの?大変だよ。」

「寄付がいい。」

「活動費として楽しくみんなで使おう。」
「それいいね。」
「楽しそう。」

意見がまとまってきたが、

「寄付はどうするの?」

「じゃあ、半々で。」

「中途半端じゃない?」
「そんなら寄付いらないかも。」

「みんなで楽しく使いましょう!」
に決定した

次の日、

「昨日話したね。」

「結局どうなったんだっけ?!」

「え、寄付かな。」

「そうだね。そうだと思う。」

「動物飼いたいという意見が出た。」

「居たね。無理だよね。世話とかあるし。」

「寄付は半端なのはいや。」

「みんなで使っていいってことになったんじゃないの?」

「そうだっけ?」

「うーん」

「記録見てみようか。」

ーー 記録を見てみる。

「書いてあるね。」

「そうか。そうなったね。」

「うん。そうだね。」

この出来事を見ると、検討は出来るようになったが、記憶という面では難しさが残る様に感じます。

しかし、記憶という点でよく観察すると。

  • 自分の発言した意見は覚えている
  • インパクトのある意見は覚えている
  • 何となくでも流れは覚えている
  • ノートなどの記録があると確認ができる
*注意する点として、人によって記憶はそれぞれである。
 そして、それを誰もが、認識し、仕方ないことと思っている。
*大事なことは、非難することなく、補っていること。
 誰か指導者や先生がいるわけでもなく、同じ立場で確認することができていること

こんなことが見えてくると、改めていい感じなんですね。

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