昨日、お金の使い道について話し合った。
内容はこういうものだった。
みんなで使えるお金がある。
そのお金は以前みんなで稼いだものであるので、みんなで使い道を考えないと。
というのが発端。
食べたい飲みたいという人。
どっかに行きたいという人。
そこから、どうやって稼いだの?との質問が出て。
経験者が経過を説明。
経過を説明してくれた。
苦労したのだと分かった。
大変だったという。
それは大変だと参加してなかった人もいう。
そして、そんな思いで稼いだお金は簡単には使えないと。
「重いお金だ。」と誰かが発言。
「寄付したらどうか」と意見。
「みんなで使える備品を買いたい」と意見。
「植物を買いたい。」
「動物を買いたい。」
「世話はどうするの?大変だよ。」
「寄付がいい。」
「活動費として楽しくみんなで使おう。」
「それいいね。」
「楽しそう。」
意見がまとまってきたが、
「寄付はどうするの?」
「じゃあ、半々で。」
「中途半端じゃない?」
「そんなら寄付いらないかも。」
「みんなで楽しく使いましょう!」
に決定した
次の日、
「昨日話したね。」
「結局どうなったんだっけ?!」
「え、寄付かな。」
「そうだね。そうだと思う。」
「動物飼いたいという意見が出た。」
「居たね。無理だよね。世話とかあるし。」
「寄付は半端なのはいや。」
「みんなで使っていいってことになったんじゃないの?」
「そうだっけ?」
「うーん」
「記録見てみようか。」
ーー 記録を見てみる。
「書いてあるね。」
「そうか。そうなったね。」
「うん。そうだね。」
この出来事を見ると、検討は出来るようになったが、記憶という面では難しさが残る様に感じます。
しかし、記憶という点でよく観察すると。
- 自分の発言した意見は覚えている
- インパクトのある意見は覚えている
- 何となくでも流れは覚えている
- ノートなどの記録があると確認ができる
*注意する点として、人によって記憶はそれぞれである。
そして、それを誰もが、認識し、仕方ないことと思っている。
*大事なことは、非難することなく、補っていること。
誰か指導者や先生がいるわけでもなく、同じ立場で確認することができていること
こんなことが見えてくると、改めていい感じなんですね。

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