うーん。今日もいろいろ考える。
この職業に就くといろいろなことが、日常的にあるなぁを実感しております。
以前。精神科で仕事をするのには診立てが大事と書いたことがあるかもしれませんが、
まさしくその見立てで今回苦悩したのか、
日頃の怠慢が招いた結果か。。。
人とのかかわり
人を診立てから始まる、治療。リハビリ。
それ自体を見直す必要がある様に思えた。
失敗。
事の発端は、
先日。ある一人の利用者とのやり取りから。。
その人は、利用するたびに、ある課題を提示し遂行していただいている。
なんでそうなったか、
最初は”暇”ということだった。
そして、他の人も課題をもらって行っているのを見ていたので、自分もやりたいと。
説明として、課題提示は暇だから行っているのではなく、作業療法として行っていることを伝えた。治療として、リハビリとして。物事に取り組む事。
作業を行うことでいろいろと治療になること。
その人にとって行うことは、自分との対峙になると提案。
兼ねてより、本人と確認はしていたこと。
依存性を思っているが、どうしてよいかわからない。
人の行動を伺っている姿勢。それもスタッフの様子。
自分の発言が正しいのか不安になり、発言後必ずスタッフを追視する。
発言してなくても行動に不安があると追視する。
なにか自分に非があるとすぐに思い込む。自分のせいでと。
混乱。錯乱。訴えを超え暴言。事実がねじ曲がり他者批判。
自分は悪くないと過度の防衛反応。関わる人を巻き込む。
落ち着くと、またやってしまったと自己嫌悪。
詳細まで覚えてられない。混乱からの情報遮断と錯乱での情報捏造。
自分で自分を振り回すのには、まだいいが。
人を巻き込んむことへの罪悪感には馴れない。。
そんなひとへ。
自分は自分。他者を見る事より、自分を見てほしかった。
等身大の自分。認めてあげることは難しいかもしれないが、そのうち受け入れられる。
と思っていた。そのための課題提示をさせてもらっていた。
ある時の会話から
「どう?」
「ハイ。できました。」
「え?できましたって?」
「今日は間違えずにできました。」
「へー。間違えたところはどんなところだったの?」
「いや。やり方通りやってできました。」
「ん?先日。間違えたところを見直すことで間違えの癖がわかるからやってみようということになったよね。」
「ハイ。でも言われた通り、やり方見てやりましたよ。」
「今日やったところ見せてくれる?」
「これです。」
「ん?先日やってみるというところやってないけど?」
「難しそうなので、新しいのをやりました。」
「そうか、新しいのをやるのはいいけど、間違えたところの見直しじゃないとリハビリにならないよ」
「でも、難しそうだったので、新しいのも難しいですが、こっちの方が少し出来そうだったので。」
「先日、話こと忘れてた?」
「はい・・・」
「物事の順序や取り組みが分からなくなることが、課題でもあると思うので、何のためにやるのかや気持ちを落ちつけてから行うなどの課題を行う前に読む。自分なりのマニュアルがあった方がいいかもよ。無くてもいいけど、あった方がより混乱しないかも」
「でも、ちゃんと書いてある通りやりましたよ!」
「そうではなくて、自分のマニュアルを作ってみたらという提案なんです。」
「・・・なんだか分からなくなってきました。」
「そうか、でもリハビリは結構大変だよね。でもやらなくてもいいんですよ。大変なら今じゃなくてもいいんですよ。こういうのってそんな簡単に出来るものじゃなくて、一生付き合っていくものだと思うので・・」
「いや!やめたくないです。」
「出来たら、自分の課題なのでやるなら評価は気にしない方がいいですよ。”出来ました”と嬉しそうに言われても、相手は困ることもあると思いますよ。」
「はい。でもそう言われたら、自分のことのようにうれしいですよ」
「そうですか?」
「子供っぽいですね」
「そうかもしれませんね。興味がない人にとっては、だから?ってことになりそうですね。自分のためにやっているので評価はあまり気にしない方がいいと思いますよ。何のためにやるのかが分からなくなってしまいますので」
「なんとなく、わかっていました・・・・」
「まあ、また今度考えましょう。」
「・・・・はい」
**************************
しばらくして
「帰ります」と泣き顔で話しかけて来る。
「どうして?」
「核心を突かれたので・・・・・」
「そうか。わかりました。少し帰って休んでください」
「・・・はい」
と言って帰る。
泣き顔の利用者を見て、知らないスタッフが声をかける。
話を聞くと、
”核心を突かれた”
”一生治らない病気と言われた”
”作業をするのにマニュアルってあるんですかあるなら見せてください!!”
”やったの見せてと言ったので見せたら、子供っぽいと馬鹿にされた”
と後で、半狂乱になっていた。と報告を受けた。
診立ての驕り
はー。そうなったか。
そろそろ、自分との対峙ができるチャンスと見て、声をかけたのだが・・・
色々なことがここを利用してからあったが、あまり物事に振り回されず、確認はあるが混乱はしていない日々が1年経過。
地力も付き、他者への関りや、自己発言も多くなりつつある時期だった。
しかし、スタッフの追視や”みて”という評価をもらうアピールは変わらず、自分の発言が不利になりそうなると、過剰に反応し無配慮に弁解し他者を訝し気な表情にさせる。
治療を名目に、
少し自分との対峙が出来ると思っての問いかけだった。
最悪な結果。
自分の予想としては、”核心を突かれた”との言葉は、自分との対峙を恐れ逃げていることを突かれた。
それに向き合う必要がある。
向き合いたいが向き合いたくない。
葛藤すると思っていた。
そしてそれを乗り越えられる力もついていると思っていた。
混乱はしても、葛藤すると思っていた。
錯乱するとは・・・・
可能性は十分にあったのに、見落としていた。
何でも見ている。出来ている。すごいんだという傲りを持っていたと気が付かされた。
更にそこからくる怠慢を実感させられた。
さらに、話を聞いたスタッフに対しての嫌悪感。自分のことを棚に上げて、フォローが無いのかと。聞きっぱなしで、利用者のフォローや今後の対策をどうするのか。
なんの話にもならない。
”何なんだ”という怒りの責任転嫁が自分の中に起こる。
ふうーー。。
数日経って。落ち着いた。
どうみても自分の過失。
相手に準備がないのに一方的に持論を展開したことで、
相手は、断定的に制裁的に告げられたと思われても仕方ないやり方だった。
自立や対峙するのにはとても難しい。
本人がそれに気が付き、
それとの葛藤を行ったときに
後押しや誘導をするべきであって、
安寧している状態で言われることは、
寝耳に水。
ましてや不安定さをもっている利用者に対しては。
爆弾を放られたようなもの。
最低でした。反省中です。
その次の日。本人から電話あり。
「あした、行ってもいいですか?」と
また次の日。本人より
「いろいろと取り乱してしまってすいません。」
「混乱してしまって。関係ないスタッフまでまた巻き込んでしまいました。」
「こちらこそすいません。準備が出来ていないのに混乱させてしまって。」
「?。いえ。またやってしまった。自己嫌悪です。」
「すぐに落ち着いたのですか?」
「はい。頓服飲んで寝たらすっきりしました。でもまたやってしまったとおもって」
「お話したことは覚えていますか?」
「いえ。内容は覚えていないです」
「スタッフと話したことは?」
「泣いていたら声かけられて、ワーッとなってしまって。何言ったのか覚えてないです。」
「でもすごいですね。すぐに復帰して。前とは違いますね」
「そうですかね。」
また、再開になったが、しばらく作業療法は行わないことにした。
自分の自信のなさと過信と。そして本人の気持ちが固まるまでは有効でないと考えたから。

0 件のコメント:
コメントを投稿